10 6月

「未来的永遠のテーマ、それが愛」

私は、最近、この歳をふまえて、余生にあって生きているのか。将来にあって生きているのか。未来にあって生きているのかを考えるひと時が与えられた。
それぞれの年齢差によってその言葉がもつ意味のニュアンスが違ってくるだろう。
因みに、ギリシャ語で「愛」について語る時に、「愛せよ」という動詞「アガパオー」の方をよく伝えてきたが、古典中の古典の書に、実は、未来形で使われている箇所があることを学ぶ。正確には、二人称単数の未来形のギリシャ語で「アガぺーセイ」という。それは神のイメージの中で、必ずそうなることが約束されていると解釈される。
ここで、話を本題に戻すが、私は、余生・将来・未来の三つのどの人生観の中で生きようとしているのか。私は、残された人生に、または、将来に向かってあゆんでいるのかと聞かれたら、どちらも私にあわないニュアンスが含まれていると答えるだろう。上記の「愛」の文法的な解釈をヒントにするならば、「余生」でもない、「将来」でもない。私は、「未来」にある人生を選ぶ。古典中の古典の書の中で未来に約束された「愛」を信じて、「今」に生きていこうと決意する。
「愛」は、過去から「今」にいたって実現された事柄ではなく、それが私にとっての未来的永遠のテーマであるからである。